フルマラソンへの道 その23

 

風邪で38度の熱を押して出場したハーフマラソンを、何とかクリアしたもののその代償は大きかった。大会後は体の節々がとてつもない痛みに襲われ、仕事もままならない状態で何とか生き延びる感じだった。

それから1週間が経ち、体調が戻り1ヵ月後のオホーツクマラソンに備えていきなりフルスロットルで練習を再開した。今では考えられないがほぼキロ4分半前後での練習を続けて、風邪で休んだ体を取り戻そうと必死だった。

 

そんなオーバーペース気味の練習を重ねて迎えた「第20回オホーツクマラソン」は、後で解ったことだが私が出場した時の大会が最後の大会であったという。

 

コースは紋別町をスタートしてサロマ湖ウルトラマラソンのコースでもある湧別町の三里浜がゴールという、サロマを意識した大会であったように思う。そして男子優勝者には、東京~紋別の往復ペア航空券を始め抽選会では地元のお土産などがわんさかと用意されていた。

この大会はワンウェイコースのため、ゴールからスタート地への長い道のりを回収するバスまで運行していた。

 

懲りもせず、どんどんフルマラソンに出場する私は何の学習もないまま再びスタートしていた。

それまではとにかく自分を追い込む練習をして大会に望み、ハーフまではよかったがフルマラソンになると途端に後半で歩いてしまう…という悪循環に陥っていた。その最たる例がこの大会であった。

 

私はいつものように前半をキロ5分ペースで走っていた。オホーツク海を左にしながら、ほぼ海を見ながら走るこのコースはとても満足だった。20キロまでは…

そして25キロくらいから私の足は悲鳴を上げ始めた。というよりはスタミナが足りなかったのだろう。常にキロ5分以内のペースで10キロ前後の練習をしていた私にとってフルマラソンは脅威の世界。

 

30キロ地点では湧別町民の声援も虚しく完全に歩いてしまい、ゴールで名前をコールされることさえ恥ずかしいほどだった。そして私のオホーツクマラソンは目標であった4時間を大幅に超えて終わった。

記録は4時間33分

完走した288名の内254位という情けない数字だった。この世から消してしまいたいデータの一つである。ゴール後にやっていた抽選会もあまりよく憶えていないほど心身ともに疲れていた。

 

そして、気が付くと足の爪が異常に痛かった…

 

 

 

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