跳躍競技Jumping Events
走り高跳び・棒高跳び・走り幅跳び・三段跳びという、高さと距離を競う4つの陸上種目。1928年アムステルダム大会の三段跳びで織田幹雄が日本人として史上初のオリンピック金メダルを獲得し、以降36年ベルリン大会まで日本が3大会連続で金メダルを独占。「日本のお家芸」と呼ばれた伝説の時代があった。
日本人史上初の金
1928〜1936年
幅跳び・三段跳び
メダル
伝説の逸話
助走から片足で踏み切り、背面跳びなどのフォームでバーを跳び越える高さを競う種目。身のこなしと空中感覚が記録を左右する。
長いポールを地面に突き立て、そのしなりの反発力を利用して高い位置まで体を持ち上げる種目。4種目の中でも最も高さを競う、技術的難易度の高い種目。
踏切板で片足踏み切りをし、着地点までの水平距離を競う種目。助走のスピードを最大限に活かす技術が求められる。
片足で跳んで同じ足で着地する「ホップ」、逆足で着地する「ステップ」、両足で踏み切る「ジャンプ」の3動作を連続して行う種目。日本が「お家芸」とした歴史を持つ。
日本人初の五輪金メダリストは、陸上の三段跳びだった
1928年アムステルダム大会、織田幹雄は三段跳びで15m21を跳び、日本人選手として史上初めてオリンピック金メダルを獲得した。柔道でも体操でもなく、陸上の跳躍種目が日本に初めての栄冠をもたらしたのである。4年後のロサンゼルス大会では南部忠平が15m72の世界新記録で金メダルを獲得し、織田から続く系譜を引き継いだ。
そして1936年ベルリン大会、織田の影響で三段跳びを始めた田島直人が16m00の世界新記録で優勝し、日本人選手による史上初の3大会連続金メダルを達成。三段跳びは「日本のお家芸」と呼ばれるようになった。同じベルリン大会の棒高跳びでは、2位で並んだ西田修平と大江季雄が互いの友情から順位決定戦を拒み、大会側が銀メダルと銅メダルを半分ずつ繋ぎ合わせた「友情のメダル」を2人に贈るという、オリンピック史に残る美談も生まれている。
日本人として、そしてアジア人としても史上初のオリンピック金メダリスト。「三段跳」という競技名の日本語訳を考案した人物でもある。
織田幹雄に続き三段跳びで世界新記録の金メダルを獲得。生涯の友人だった織田とともに、日本跳躍界の黄金期を築いた。
京都大学出身。織田・南部に続く3大会連続金メダルを達成し、同じ大会の走り幅跳びでも銅メダルを獲得する活躍を見せた。
2位で並んだ2人が順位決定戦を拒否。銀と銅を半分ずつ繋いだメダルが贈られた、オリンピック史に残るエピソードの主人公たち。
