フェンシングのルールとは?3種目の違い・太田雄貴から始まった日本の五輪史

Sports Encyclopedia · フェンシング

フェンシングFencing

細身の剣を手に、電気審判システムでヒットを競い合う一対一の打突競技。1896年第1回アテネ大会から毎回実施される伝統種目で、日本では2008年に太田雄貴が悲願の初メダル(銀)を獲得。2021年東京五輪では男子エペ団体が全種目を通じて日本フェンシング史上初の金メダルを掴んだ。

1896
第1回アテネ大会
から実施
1932
日本で
競技として始動
2008
太田雄貴
日本初の五輪メダル
2021
男子エペ団体
日本史上初の金
📋
基本データ BASIC DATA
剣という武器を用いて相手にヒットを決める、「格闘技・パワー系」に分類される一対一の競技。柔道や空手が身体そのものを武器とするのに対し、フェンシングは剣を介した間合いの読み合いが勝敗を分ける点が特徴で、電気審判システムによる機械的な判定も大きな特色となっている。
分類
格闘技・パワー系(剣を用いた一対一の打突競技)英名:Fencing
基本ルール
「ピスト」と呼ばれる細長いコートの上で対戦。剣先が相手の有効面に触れると電気審判システムが感知しポイントとなる。先に既定得点(個人戦15点など)に到達すれば勝利
主な形式
フルーレ・エペ・サーブルの3種目があり、それぞれ有効面(ヒットが認められる部位)やルールが異なる。個人戦・団体戦のいずれも行われる
統括団体
1913年設立の国際フェンシング連盟(FIE、パリ)が統括/日本:公益社団法人 日本フェンシング協会(FJE、1936年創立の大日本フェンシング協会が前身)
五輪との関わり
1896年の第1回アテネ大会から実施されている、近代オリンピック創設当初からの8競技の一つ。以降、一度も欠かさず実施され続けている数少ない伝統種目である
🤺
3つの種目とルール THREE WEAPONS
🗡️
フルーレ
胴体のみが有効面

胴体(頭部・腕・脚を除く)のみにヒットが認められる種目。「優先権(アタックの権利)」というルールがあり、攻防の順序が得点判定に影響する。

⚔️
エペ
全身が有効面

頭のてっぺんから足先まで、全身どこに当たってもポイントになる種目。優先権のルールがなく、同時にヒットした場合は両者に得点が入る。

🔪
サーブル
上半身が有効面、突きも斬りも有効

上半身(頭部・腕を含む)が有効面で、剣先を突く動作だけでなく刃で斬る動作でもポイントが認められる、最もスピーディーな種目。

電気審判システム
剣と有効面をセンサーで判定

選手の剣と服装にセンサーを組み込み、ヒットの瞬間をランプと音で知らせる仕組み。肉眼では判定が難しい高速な攻防を正確にジャッジする。

🟢
太田雄貴——「日本唯一メダルなし競技」の看板を下ろした男 OTA YUKI
🥈 北京2008 フルーレ個人 銀メダル(日本フェンシング史上初の五輪メダル)

アテネ以来、8競技の中で唯一メダルのなかった競技に終止符を

フェンシングは1896年の第1回アテネ大会で実施された8競技の一つでありながら、太田雄貴が銀メダルを獲得するまで、日本が唯一オリンピックメダルを獲得していない競技だった。2006年のドーハ・アジア大会でフルーレ個人を制し波に乗った太田は、2008年北京五輪で日本人選手として初めて決勝戦へ進出。ドイツの選手に敗れはしたものの、悲願の初メダルを日本フェンシング界にもたらした。

2012年ロンドン五輪では、太田を中心とする男子フルーレ団体が銀メダルを獲得。準決勝のドイツ戦では残り9秒で38-40とリードされながら怒涛の攻撃で延長に持ち込み、劇的な逆転勝利を収めた。太田が切り拓いた道は、2021年東京五輪での男子エペ団体、全種目を通じて日本フェンシング史上初となる金メダル獲得へと受け継がれている。

🇯🇵
日本フェンシング史に名を刻んだ選手・チーム KEY FIGURES
太田 雄貴(おおた ゆうき)
2008北京 銀(日本初)/2012ロンドン団体 銀

日本フェンシング史上初の五輪メダリスト。引退後は日本フェンシング協会会長、現在はFIE(国際フェンシング連盟)副会長を務める。

男子エペ団体(東京2020)
山田優・加納虹輝・宇山賢・見延和靖/金メダル

世界ランク8位からロシア・オリンピック委員会(ROC)を45-36で破り、全種目通じて日本フェンシング史上初の金メダルを獲得した。

女子フルーレ団体(2007世界選手権)
銅メダル(世界選手権での日本初メダル)

太田の活躍に先立ち、世界選手権の舞台で日本フェンシング界初のメダルをもたらしたチーム。その後の強化の土台となった。

岩倉 具清(いわくら ともきよ)
1932年、日本にスポーツとして指導開始

フランス留学から帰国後、慶応義塾大学・法政大学などの学生にフェンシングを指導。日本における競技としての出発点を作った人物。

📜
歴史の足跡 HISTORY
1896年
第1回アテネ五輪で実施された8競技の一つとして採用され、以降毎大会欠かさず実施され続けている。
1913年
国際フェンシング連盟(FIE)がパリで設立された。
1914年
パリでのIOC国際会議で統一競技規則が採用され、競技としての国際性が確立された。
明治初年(日本)
陸軍戸山学校で、フランス人教官により片手軍刀術として伝えられたのが日本での始まりとされる。
1932年(日本)
岩倉具清がフランス留学から帰国し、慶応義塾大学・法政大学などの学生にスポーツとしてのフェンシングを指導し始めた。
1936年(日本)
大日本フェンシング協会(現・日本フェンシング協会)が創立された。
1952年(日本)
ヘルシンキ五輪に日本が初参加した。
1964年(日本)
東京五輪で男子フルーレ団体が4位入賞。当時の日本フェンシング界における最高成績となった。
2008年(日本)
北京五輪でフルーレ個人の太田雄貴が銀メダルを獲得。日本フェンシング史上初のオリンピックメダルとなった。
2021年(日本)
東京五輪で男子エペ団体が金メダルを獲得。全種目を通じて日本フェンシング史上初の金メダルとなった。