フェンシングFencing
細身の剣を手に、電気審判システムでヒットを競い合う一対一の打突競技。1896年第1回アテネ大会から毎回実施される伝統種目で、日本では2008年に太田雄貴が悲願の初メダル(銀)を獲得。2021年東京五輪では男子エペ団体が全種目を通じて日本フェンシング史上初の金メダルを掴んだ。
から実施
競技として始動
日本初の五輪メダル
日本史上初の金
胴体(頭部・腕・脚を除く)のみにヒットが認められる種目。「優先権(アタックの権利)」というルールがあり、攻防の順序が得点判定に影響する。
頭のてっぺんから足先まで、全身どこに当たってもポイントになる種目。優先権のルールがなく、同時にヒットした場合は両者に得点が入る。
上半身(頭部・腕を含む)が有効面で、剣先を突く動作だけでなく刃で斬る動作でもポイントが認められる、最もスピーディーな種目。
選手の剣と服装にセンサーを組み込み、ヒットの瞬間をランプと音で知らせる仕組み。肉眼では判定が難しい高速な攻防を正確にジャッジする。
アテネ以来、8競技の中で唯一メダルのなかった競技に終止符を
フェンシングは1896年の第1回アテネ大会で実施された8競技の一つでありながら、太田雄貴が銀メダルを獲得するまで、日本が唯一オリンピックメダルを獲得していない競技だった。2006年のドーハ・アジア大会でフルーレ個人を制し波に乗った太田は、2008年北京五輪で日本人選手として初めて決勝戦へ進出。ドイツの選手に敗れはしたものの、悲願の初メダルを日本フェンシング界にもたらした。
2012年ロンドン五輪では、太田を中心とする男子フルーレ団体が銀メダルを獲得。準決勝のドイツ戦では残り9秒で38-40とリードされながら怒涛の攻撃で延長に持ち込み、劇的な逆転勝利を収めた。太田が切り拓いた道は、2021年東京五輪での男子エペ団体、全種目を通じて日本フェンシング史上初となる金メダル獲得へと受け継がれている。
日本フェンシング史上初の五輪メダリスト。引退後は日本フェンシング協会会長、現在はFIE(国際フェンシング連盟)副会長を務める。
世界ランク8位からロシア・オリンピック委員会(ROC)を45-36で破り、全種目通じて日本フェンシング史上初の金メダルを獲得した。
太田の活躍に先立ち、世界選手権の舞台で日本フェンシング界初のメダルをもたらしたチーム。その後の強化の土台となった。
フランス留学から帰国後、慶応義塾大学・法政大学などの学生にフェンシングを指導。日本における競技としての出発点を作った人物。
