①【概要】肩鎖関節亜脱臼と腕吊りホルダー。満身創痍で挑むサロマンブルーの初陣
サロマンブルーとなって初めて迎えるサロマ湖100kmですが、大会の1ヶ月前、ロードバイクでの走行中に転倒し、堤防の土手下へと10メートルほど落下。ヘルメットにヒビが入るほどの衝撃で、脳外科でMRI検査を受けるほどの大事故でした。診断は肩鎖関節の亜脱臼。鎖骨と肩関節を繋ぐじん帯がほぼ切れてしまったので、右肩の骨がちょっと飛び出した状態になりました。
事故からしばらくは、靴下を履くのもパンツを履くのも苦労し、右手でカバンすら持てない状態でした。直前1ヶ月の走行距離はわずか38キロ。しかし、私の中に「DNS(出走取りやめ)」の選択肢は全くありませんでした。いかに腕を振らずに走るか考え試行錯誤の結果、テーピングだけでは不安なので、13時間の長丁場を乗り切るために「腕自体をホルダーで吊って走る」という前代未聞の決断を下しました。
スタート前のトイレを済ませると、腕吊りホルダーのセッティングを済ませますが、外に出るとスタートの15秒前。並ぶ位置を探す間もなく号砲が鳴ってしまいましたが、それ自体はいつものことです。サロマンブルー専用のスタートエリアがあると聞いていましたが入口が分からず、途中から合流させてもらう形になりました。結果的に1分51秒のロスタイムでスタートラインを通過し、満身創痍の100kmが始まりました。
②【スタート〜40km】「呼吸ができない」大誤算。右腕固定が生んだ心拍数「177」の異常事態
走り出してみると、スタート直後は意外にも体が調子よく動いてくれました。10キロ、20キロと、すんなりキロ6分半のペースを維持して進みます。「このケガで、あまりいいペースで飛ばしすぎてはいけない」と頭では分かっていましたが、足は驚くほどスムーズでした。
- 10km通過:1時間07分
- 20km通過:2時間10分
早朝の段階からジリジリとした蒸し暑さが体にまとわりつき、周囲のランナーたちは一様に日陰を探しながら走りますが、すぐに遮るものがなくなります。20キロを過ぎたあたりの公園のような場所で、最初のまったりトイレタイムを挟みました。汗は大量に流れていましたが、足にはまだ十分な余裕を感じていました。
30キロ手前では走り仲間のMさんと遭遇。上下シャカシャカのウェアを着ていたので「それ脱いだ方がいいんじゃない?」などと先輩面して声をかけましたが、正直なところ、この先自分の体に何が起きるのか不安で押しつぶされそうでした。
- 30km通過:3時間24分
30キロを過ぎて国道に出ると、ウルトラではよく見かける「横に広がって走るランナーたち」の姿が目に入りイライラしました。怪我で思うように腕を動かせないストレスと重なり、精神的な乱れからペースが上下してしまいます。呼吸を整えながら、40キロを4時間38分で通過しました。
42キロ過ぎのトイレで2回目のまったり休憩を取りましたが、この辺りから徐々に自分の息遣いが荒くなっていることに気がつきました。よく考えてみると、右腕をホルダーで完全に固定しているため、胸が右側に開かず、肺が圧迫されて呼吸が劇的に浅くなっていたのです。
走っているペース自体はキロ7分以内の巡航速度なのに、ガーミンの心拍数データを見ると、なんと最大で「177bpm」という、普段の全力疾走レベルの異常な高数値を叩き出していました。体はそれほどスピードを出していないのに、浅い呼吸のせいで心臓だけが必死に空気を送り込もうと激しく打ち鳴らされていたのです。

このままではもたないと焦りましたが、唯一自由に動く「左腕」をあえて大きく振ることで胸を強制的に開くフォームを意識したところ、なんとか酸素が肺に入ってくる感覚を取り戻せました。予想外の暑さと、データが物語るほどの浅い呼吸。苦しい時間帯が続きますが「いつか痛みに気にならなくなる(麻痺する)」と信じて我慢を続けました。
③【40km〜70km】サロマ湖の逆襲。13分の大停滞と、極寒の嵐のなかでの生死を賭けた決断
- 50km通過:6時間05分
- 60km通過:7時間26分
50キロ前後からは、同行メンバーのHさんがすぐ後ろを走っているのが分かりました。誰かがそばにいると思うだけで不思議と気が引き締まり、怪我をかばうフォームが自然と綺麗な走りに修正されていくのを感じます。
55キロの大エイドに到着した時点ではまだ暖かさがありましたが、長年の経験から「万が一の激変」に備え、ドロップバッグからレインジャケットを取り出して背中のザックに詰めました。今年は腕を吊っていることもあり、色んな事態を想定して最初からザックを背負っていたため、荷物が増えることは苦になりません。
この判断が、のちに今年の運命を決めることになりました。
このとき、55km地点のエイドでの滞在時間は、ガーミンの記録によると「13分49秒」。通常のエイド休憩の倍以上の時間をかけ、慎重に装備を整えてリスタートしたものの、浅い呼吸の苦しさは変わらず、60キロ以降はとうとうキロ7分を維持することが困難になっていきました。
斉藤商店を通過し、命からがら70キロの関門をクリアした瞬間、その先の湖畔沿いで「ありえない天候の激変」がランナーたちを襲いました。青空から一転、サロマ湖から猛烈な強風が吹き荒れ、湖水が横殴りの大雨のようになってコースへ叩きつけてきたのです。
これはまずいと思い用意していたゴミ袋を被ろうとしましたが、片腕が動かないため寒さと焦りで上手く被れません。あまりの激しい寒さとイライラで「もうリタイアしたい!」と本気で思いましたが、すでに周囲には何もなく、リタイアできる収容ポイントすら通り過ぎてしまっていた。
- 70km通過:8時間46分
林を抜けると、遮るもののないサロマ湖からの突風が直接肌を刺し、みるみるうちに体温が奪われていくのが分かりました。とてもじゃないが走れる状況ではなく、かといって歩いていても顔や体に叩きつける湖水が痛くて耐えられません。前年のサロマも過酷でしたが、今年は「本当に大会が途中で中止になるんじゃないか」と思うレベルの、凄まじい暴風雨でした。
寒さで体が震え、手が完全に硬直する中で辿り着いた72km地点の鶴賀リゾートエイド。ここで私は「10分33秒」という長い時間を費やすことになります。震える手でいただいたお汁粉は、五臓六腑にしみ渡り、文字通り生き返るような心地がしました。
しかし、収容バスに次々と逃げ込んでいく大量のランナーたちを目の当たりにし、リタイヤしていくランナーを羨ましいと思ってしまう自分がいました。このままペラペラのゴミ袋だけで走っていては、確実に低体温症で動けなくなる。そう確信した私は、55キロで背中に背負ったレインジャケットを着る決断をしました。しかし、亜脱臼している右腕が思うように動かないため、袖を通すだけで激痛が走り、ここで大幅な時間をロスしてしまったのです。
なんとか着替えて前へ進もうとしますが、下半身は短パンにショートソックスという完全な生足スタイルだったため、今度は冷え切った足の筋肉が強硬直を起こし、一歩も前に進まなくなってしまいました。
ガーミンのデータを見ると、75km地点の1kmのラップタイムはなんと「15分57秒」。歩くことさえままならない状態で、「大会が中止になってくれないかな」と本気で思いました。こんな経験は十数回のサロマでも初めてのことでしたが、時間がないことは分かっていました。「完走できる可能性は半々、いやそれ以下だ」という大ギャンブルに賭け、意を決してワッカの門をくぐりました。
④【80km〜ゴール】制限時間1分30秒前の死闘!水ぶくれ破裂から始まったキロ6分台への大逆転
- 80km通過:10時間15分
- 90km通過:11時間40分
鶴賀リゾートまでの凄まじい湖水の嵐に比べると、ワッカの中は意外にも普通の強風に感じられました。この程度の天気なら、90キロもクリアできるかもしれない。そう自分に言い聞かせ、ジャケットのフードを顔が見えないくらいきつく縛って前に進みます。正面からの向かい風が強烈なため、真っ直ぐ前を向いて走ることは不可能です。誰か他のランナーの背中を風除けにしなければ、風圧で体が後ろへのけ反ってしまうほどでした。とにかく「絶対に歩かない」ということだけを脳の真ん中に置き、超スローペースでワッカの深部を目指します。
ワッカの折り返しをUターンし、なんとか90キロ地点を通過したものの、ここからはきっちりキロ8分ペースを死守しなければ制限時間に間に合わない計算でした。さらに、前を走るランナーたちが「あと1.5キロ先に関門があるぞ!急がないと終わる!」と騒いでいました。
実は私は、最終関門が「91.5キロ地点」にあることをこの時まで恥ずかしながら知りませんでした。私たちは残された最後の力を振り絞り、まだ見ぬ関門のゲートに向かってがむしゃらに足を動かしました。そして、91.5キロの最終関門を滑り込んだのは、なんと閉鎖制限時間のわずか1分30秒前。本当に命拾いをしました。
関門を突破したとはいえ、ここからゴールまではキロ8分を維持し続けなければならないという、究極に難しいタイミングでした。そんな極限状態のとき、右足の小指にズキッとした嫌な膨らみを感じました。サロマの終盤で必ず現れる天敵、水ぶくれです。「痛い!」と思った瞬間、間髪入れずに今度は左足の小指にも同じ膨らみが発生しました。着地の痛みを逃がすため、足を斜めに傾けながら騙し騙し走っていましたが、まもなく両足の小指が「ポンッ、ポンッ」という明確な感触とともに同時に破裂しました。 「ヴゥーーッ!!」 思わず声が出るほどの激痛。しかし、今ここで痛みに負けて歩いたら、その瞬間に12時間以上走ってきた努力がすべてバブルと化す。
私は歯を食いしばり、文字通り鬼の形相で走り続けました。すると不思議なことに、足の激痛のせいで、これまで苦しんでいた肩の痛みや、腕が動かないことへのストレスが脳内から完全に消し飛んだのです。アドレナリンが爆発し、ガーミンのデータにもある通り、94km地点からペースは一気に「6分58秒」「6分44秒」へと劇的に跳ね上がりました。極限状態での、執念の大逆転劇でした。
残り4キロ地点にある最後の急坂で、ようやく「ここまで来ればもうゴールに間に合う」と確信し、一息つくために少し歩きを入れました。しかし、歩き始めた瞬間、何故か「ここで歩いていてはいけない」という強い衝動に駆られました。正気に戻った私は、この激闘の最中、極寒のゴミ袋やレインジャケットのせいで、せっかくのサロマンブルーの象徴である「ブルーゼッケン」をずっと後ろに隠したまま走っていたことに気がついたのです。「これじゃダメだ。俺はサロマンブルーなんだ」私はその場で立ち止まり、ゼッケンが周囲から一番目立つ位置にくるよう、しっかりとセッティングし直しました。
残り1キロの標識が見えたその時、後ろからブログ仲間のBさんに声を掛けられました。私が「1ヶ月前の大事故で、腕をホルダーで吊ったまま100kmを走る」というブログの記事を覚えていてくれたようで、まさかの腕吊りスタイルで本当にここまで走ってきた私の姿を見て、半笑いで話しかけてきたのです(笑)。こんな極限のゴール直前で、笑い合える戦友に出会えるなんて、これほど嬉しいことはありません。大雪山ウルトラマラソンの話を少し交わしながら、私は最後の力を振り込めてグイグイとペースを上げました。
最後は、この日一番の精一杯の力を込めたキロ7分ペースで、常呂町の競技場へと飛び込みました。
- 100kmゴールタイム:12時間53分
「肩の靭帯が切れかかっていても、腕をホルダーで吊りながらでも、人間は100キロを走れるんだ」 終始、浅い呼吸に苦しめられ、サロマ湖の暴風雨に命の危険すら感じた13時間でしたが、最後まで足だけはしっかり残ってくれました。5月まで必死に積み重ねてきたあの地道な走り込みが、最後の最後で私の命を救ってくれたのです。
ブルーゼッケンを背負って挑んだ、10年連続・通算11回目のサロマ湖。無事に完走のメダルを首にかけられたことに猛烈にホッとすると同時に、心から「自分、よく頑張ったな」と、強く抱きしめてやりたい最高のレースとなりました。また、前年10回目の完走をしてサロマンブルーランナーとなったことでレース後に足形の作成も行われました。



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