2023年サロマ湖100kmウルトラマラソン 4年ぶりのウルトラは安全運転

大会レポート

1. 牙を抜かれた4年間と、不安に震えたスタートライン

「10年なんてあっという間」と人はよく言うが、この4年はあまりにも長すぎた。

新型コロナウイルスの影響による断絶。おじさんランナーにとっての4年という歳月は、単なるカレンダーの経過ではない。確実に筋力は衰え、手元の文字は見えづらくなり、夜中に何度も尿意で目が覚め、睡眠時間は短くなっていく。肉体的なピークを維持するどころか、現状維持のハードルすら年々上がっていく中で、4年間も目標とする大舞台が無いというのは、ある種の拷問に近い期間だった。

特に、サロマンブルーやグランドブルー(10回・20回完走者)の称号を目指す仲間たち、そしてすでにその称号を背負う者たちにとって、この空白は「残された時間」との戦いであり、強い危機感を抱かせたはずだ。

私自身も例外ではなかった。この4年間、モチベーションの糸が切れたように大会にはほとんど出場せず、日々の練習といえばただダラダラとジョギングをするのみ。前年の北海道マラソンでも、納得のいく走りは到底できなかった。

しかも、今年の大会に向けた練習での最長距離は、わずか40km。 「本当に、あの過酷な100kmをもう一度走り切れるのだろうか……」 かつて何度も越えてきたはずの距離が、途方もなく遠いものに感じられる。大きな不安と一抹の怖さを胸に抱えながら、私は湧別のスタートラインへと向かった。

2. 徹底した「安全運転」と、1911位からの静かなる逆転劇

今年は留辺蘂(るべしべ)に前泊。午前2時に起床し、体を目覚めさせる。湧別に向かう道中で少しずつ水分を補給し、午前4時に現地へ到着した。会場入りしてからようやく普通の食事を摂り、一番の関門であるトイレを済ませる。スタート5分前になっても、仮設トイレの前には信じられないほどの長蛇の列ができていた。

私がスタートラインに滑り込んだのは、号砲のわずか3分前。今回はサロマンブルー枠から外れた一般枠からのスタートとなったが、焦りはなかった。

今年のプランは、徹底した「安全運転」。 自分の走力を過信せず、少なくとも30kmまでは「1km/7分ペース」を絶対に守ると心に決めていた。号砲とともに、後方のランナーたちが1km/5分台のハイペースで私をどんどん追い抜いていく。しかし、その流れに巻き込まれることなく、私は完全なマイペースを貫き、静かに独走を続けた。

  • 10km通過:1時間10分

後からデータを確認して驚いた。10km地点の通過順位は「1911位」。今年の全完走者が1959人だったことを考えると、なんと完走者の中で後ろから数えて48人目という超後方からのスタートだったのだ。7分ペースでこれほど下位に沈むということは、周囲のレベルや全体の初期ペースが年々上がっている証拠かもしれない。

しかし、天候は味方してくれた。三里浜の折り返しでは、快晴の空の下、視界を遮るもののない美しい景色が広がる。すれ違う多くの走り仲間たちとお互いの健闘を称え合い、元気をもらうことができた。

  • 20km通過:2時間17分

20kmを過ぎて間もなく、三里浜から救急車がサイレンを鳴らして走り去っていくのが見えた。まだ序盤の20km。この段階で救急車が出動する展開に「先が思いやられるな……」と身が引き締まる。いつなんどき、熱中症や脱水で自分が倒れる側になるか分からない。

慎重に行こう、そう思いながら最初のまったりとしたトイレタイムを取ったのだが、ここで痛恨のミス。トイレの中にサングラスを置き忘れてしまい、少し引き返してタイムロス。ベテランらしからぬお茶目なトラブルに苦笑いする。

  • 30km通過:3時間39分

30kmを過ぎると、コースはオホーツク沿岸から内陸部へと入る。遮るものがなくなり、じわじわと容赦ない暑さが牙をむき始めた。周囲のランナーたちも、エイドごとに頭から水をかぶる姿が目立ち始める。

だが、私の体にはまだ何の変化も起きていなかった。前半を徹底して抑えたおかげで、スタミナは完全に温存されている。ここでも無理をせず、7分ペースを超えない範囲で黙々と距離を消化した。エイドでは「水、スポーツドリンク、あんぱん」の3点セットを定番とし、無駄な滞在時間を削って効率よくパスしていく。

  • 40km通過:4時間38分

手元のガーミンの心拍計に目をやると、数値は119前後をきれいにキープしている。この心拍数で走るのが非常に心地よく、感覚に身を任せてリズムを刻んでいると、見事なまでに1km/7分ジャストの正確なラップが刻まれていった。

3. 心拍数だけの世界。牙をむく後半戦と、おしるこの奇跡

42kmのフルマラソン距離を過ぎると、周囲の空気はさらに熱を帯びていく。しかし、前半の安全運転貯金が効いているのか、体にガタがくる気配は一切ない。

アップダウンが連続するエリアに入ると、周囲のランナーたちのペースが急激に乱れ始めた。上り坂でガクンと速度が落ち、下り坂で慌てて飛ばす。そんな周囲の動揺を尻目に、私は自分のペースを崩さない。上りも下りも「同じ心拍数、同じ負荷」で乗り切ることに集中し、淡々とマイペースを維持した。

  • 50km通過:5時間43分

中間点を過ぎたあたりから、私の身体に不思議な変化が起きた。狙ったわけではない。ただ心拍数を一定に保つことだけを意識して走っていたのだが、気がつけば自然とペースが上がり始めていたのだ。足が勝手に前へと進み、前方のランナーを次々と捉え、確実に順位を上げている確かな感触があった。

55kmの大型レストステーションに到着。しかし、ここでも長居は禁物だ。ドロップバッグからの荷物の出し入れは必要最小限の作業にとどめ、用意されていたアンパンとクリームパンを素早く口に詰め込む。そしてバナナを1本くわえたまま、足早に再スタートを切った。

コース上の坂を迎えるたびに、やはり周囲のランナーのペースは激しく上下する。それに巻き込まれるのは大きなストレスだった。自分のリズムだけを信じて走り続けた結果、後半に入ってから凄まじい数のランナーをゴボウ抜きにすることになり、心の中でちょっとだけ気分が良くなっていた。

  • 60km通過:7時間00分

しかし、サロマはそう甘くはない。60kmを越えると沿道の応援は一気に減り、閑散とした直線道路や、薄暗い森の中を走る時間が長くなる。精神的な疲労が押し寄せ、脳裏に「少し歩こうか」という悪魔の誘惑が囁き始める。

さらにこのあたりからは、地元の方々による豪華な私設エイドがポツポツと姿を現す。どれも非常にありがたいおもてなしなのだが、誘惑に負けて立ち止まり、色んなものを摂取すればするほど、その分だけ足は止まり、歩くことになってペースは落ちてしまう。 「甘えすぎれば、最終的に自分の首を絞めることになる……」 感謝しつつも、どこまで甘えるべきか。自分の中の理性と欲望が激しく交錯する、ウルトラならではの苦しい時間帯だった。

  • 70km通過:8時間18分

ここで遂に、1km/7分のラインを割り込んでしまった。例年のパターンといえばそうなのだが、「ここからが本当のサロマだ」と、もう一度落ちそうになる気持ちのギアを入れ直す。

例年なら、70kmの関門を無事に通過した安堵感からガクッと歩き始めることが多い。しかし、今年は直前のコース変更の影響で、70km地点がいつもと違う狭い歩道になっていた。「ここでは立ち止まれない、走るしかない」という物理的な状況が、幸運にも私の足を引っ張ってくれた。

そして、コロナ禍以降の大会ということで半ば諦めていた、名物の「おしるこエイド」が、なんと目の前に現れた。 「あぁ、今年も用意してくれたんだ……」 口いっぱいに広がる甘さの疲労回復効果もさることながら、何よりもこの大変な状況下で、変わらずにおしるこを準備して待っていてくれたボランティアの皆さんの深い好意が、涙が出るほど嬉しかった。冷えかけそうになっていた心に火が灯り、それがそのまま後半へ向かう大きな活力となった。

4. 魔のワッカ、破れた水ぶくれ、そしてブルーゼッケンの誇り

今年のルートは直前の変更により、ワッカネイチャーセンターの建物を通過しなければワッカ原生花園へ入れない仕様になっていた。初めて足を踏み入れる新ルート。その先に、突如として巨大な橋が目の前に立ちはだかった。 一瞬、「うわ、まじか……」と憂鬱な気分が過ったが、すぐに思い直す。 「ここまで70km以上走ってきたんだ。今更どんな坂が来ようが、何でも来い!」

過去十数回も走ってきたお馴染みのルートとは違う新鮮な景色。それがかえって沈みかけていた気分を晴れやかにしてくれた。新しいコースを歓迎するかのように、初夏の暖かい日差しと、オホーツク海からの涼しいそよ風が火照った体を吹き抜けていく。私は4年ぶりとなる聖地・ワッカへと足を進めた。

しかし、ワッカの最深部に設けられた80kmの折り返し地点は、想像以上に遠く、そして険しかった。コース途中に現れた予想外の砂利道。すでに足がガタガタになっているランナーたちにとって、その足場の悪さは致命傷だった。誰もが走ることを諦め、歩くのがやっとという惨状が広がる。 「だけど、泣いても笑っても残りはあと20kmしかないんだ」 私は脳のスイッチをオフにした。余計なことは何も考えず、ただ泥臭く、1歩ずつ前へ進むしかなかった。

  • 80km通過:9時間37分

今年のワッカは、最高の快晴で私たちを迎えてくれた。視界いっぱいに広がる青い空と海。この清々しい絶景の中を、悲鳴を上げる足を引きずりながら走る。この苦痛と快感が入り混じる感覚こそ、サロマ中毒者が愛してやまない瞬間なのかもしれない。 「できれば、現実はもっとまともな足の状態で、ゆっくり景色を観光したいもんだがな」と心の中で毒づく。

そう思った直後、右足の指に強烈な違和感が走った。「プチン」と、水ぶくれが破れた感触。激痛が走り、まともな着地ができなくなる。そこからの約1kmは、痛みを逃がすために右足を無理やり外側の横向きにしながら、不格好なフォームで走り続けた。太ももやふくらはぎの筋肉はまだ生きているというのに、ワッカという聖地は、最後の最後にこんな地味で痛烈な試練を与えてくる。

だが、時計を見れば、もうここからは半分くらい歩いたとしても、計算上は確実に制限時間内に完走できる。 「どこで歩こうか、どのタイミングで歩きを入れようか……」 そんなことばかり考え、必死に歩きどころを探しているうちに、ワッカの2回目の折り返しを通過した。

傾きかけた夕日が正面から顔を直撃する。明らかに顔がヒリヒリと日焼けしていくのが分かったが、すでに10時間以上も走り続けている人間の脳に、いまさら日焼けの心配をするような余裕など1ミリも残されていなかった。

  • 90km通過:10時間57分

残り10km。あと2時間をかけて走ればゴールできる。つまり、ここから先の半分以上を歩いたとしても、間に合うことは完全に計算できていた。 再び「どこで歩こうか」と考えながらトボトボと走っていると、ふと、ネイチャーセンター近くの景色が夕日に照らされ、黄金色に輝いているのが目に入った。その息をのむような美しさに、胸が震えた。

「こんな素晴らしい景色の中を、いま自分は走らせてもらっているんだ」 そう思った瞬間、不思議と足の痛みが消え、自分の足がまだまだ力強く動くことに気づいた。走ろうと思えば、それなりにまだ走れるじゃないか。だったら、男なら最後まで走ろう。

それに、一緒にはるばる遠征してきた大切なメンバーたちが、すぐ近くを走っていることは分かっていた。彼らに、ダラダラと妥協して歩いている無様な姿だけは見られたくなかった。 何よりも、私の背中には、サロマンブルーの証である「ブルーゼッケン」がある。このゼッケンを背負っている以上、周囲のランナーに対しても、自分自身に対しても、簡単に歩きを入れる姿は見せられない。

ボロボロの肉体を支えていたのは、理屈ではなく、ただそれだけのちっぽけな、だけど絶対に譲れない「プライド」だった。

後半、私の視界にはずっと「トマトの着ぐるみ」を被ったランナーがいた。この猛暑の中、信じられないほど暑いかぶり物を被り、足元はペラペラのワラーチ(サンダル)という超絶スタイルで必死に激走している。途中のエイドで「暑くて死にそう……」と本音を漏らしながらも、前へ前へと足を動かしていた。 誰もが、それぞれの地獄を抱えながら必死に走っている。だったら、私がここで足を止める理由なんてどこにもない。

4年ぶりのサロマ。練習不足の不安から「安全運転」に徹した結果、後半まで確実に足が残り、完走確実のタイムで粘り切ることができた。

なぜ、こんな苦しい100kmをまた走り切れたのか。 職場の仲間たちに「今年も100km走ってくる」と大見得を切って宣言してきたこと。 ブルーゼッケンを背負って走るという、ランナーとしての誇り。 そして何より、ゴールした瞬間にしか味わえない、あの自分自身に対する極上の満足感と、圧倒的な達成感をもう一度味わいたかったから。

最高の天候の中、最高の仲間たちと、最高に気持ちいい感動のゴールテープを切ることができた。

  • 100kmゴール:12時間11分

4年ぶりのサロマ湖。私の100kmの旅は、ここからまた新しく動き出す。来年へ向けた冬場の課題も見えてきた。サロマがある限り、私の足はまだまだ止まらない。

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