30歳を過ぎて決意したダイエットがジョギングになり、そのままフルマラソンでサブ4を達成するまでの回顧録です。
いよいよ迎えた、人生初の北海道マラソン。
それまで走ってきた市民マラソンとは規模がまるで違う。スタートは真駒内公園、ゴールは中島公園。荷物はトラックで運ばれ、ゴール後に受け取る仕組みだった。
初めてづくしの私は、何もかもが不安だった。
荷物はちゃんと届くのか。
スタートまでどれくらい待つのか。
トイレは間に合うのか。
そして一番気になっていたのは、スタートロスだった。
当時のマラソン大会はウェーブスタートなど無く号砲からのタイムが基準だったため、最後尾付近からスタートすると関門時間が厳しくなる。
「本当に5kmの関門に間に合うのだろうか。」
そんな不安を抱えながら、私は荷物を預け、長い列の最後尾近くへ並んだ。
当日は小雨交じり。
気温は決して低くなかったが、ランニングシャツとランパンでじっと待っていると少し肌寒い。
やがて長蛇の列は、ゆっくりと真駒内競技場の中へ吸い込まれていった。
周囲を見渡すと、いかにも速そうなランナーばかり。
その雰囲気だけでも圧倒される。
私のゼッケン番号は4000番台。
並んだ位置もほぼ最後尾だった。
「ここまで来たら仕方ない。」
私は開き直って、その場で号砲を待つことにした。
そして、スタートの合図。
パン!
知事のピストルの音が競技場に響いた。
しかし、私のいる最後尾はまったく動かない。
前ではレースが始まっているのに、こちらはまだ立ったまま。
30秒ほどしてようやく集団が少しずつ動き始めたが、歩くような速度でしか進めない。
スタートラインを越えたのは、号砲から約1分半後。
「思ったよりは早かった。」
そう思ったのも束の間だった。
競技場を出ると、公園内の細い通路で再び大渋滞。
前へ進もうにも進めない。
立ち止まる人、つまずく人、苛立つ人。
憧れていた北海道マラソンのスタートは、想像とはまったく違う光景だった。
そして私は、あることに気付く。
「このままじゃ、5kmの関門に間に合わない。」
スタートして500メートルほどしか進んでいないのに、時計だけがどんどん進んでいく。
この時の私には、目の前の42.195kmよりも、まず最初の5km関門を突破できるかどうかの方が大問題だった。
前へ進んでくれ。
ただ、それだけを祈りながら私は人の流れに身を任せていた。


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