30歳を過ぎて決意したダイエットがジョギングになり、そのままフルマラソンでサブ4を達成するまでの回顧録です。
「夢だった北海道マラソン」
初めてのフルマラソンを終えた頃、私の頭の中は少しずつ「トライアスロン」という言葉で埋め尽くされていた。
Yさんから話を聞くたびに興味は湧く。
でも当時の私は、フルマラソンでさえ4時間を切れていない。
「トライアスロンなんて、まだ自分には早い。」
そう勝手に決めつけ、まずはマラソンで結果を出そうと考えていた。
迎えたマラソン3年目。
この年は今振り返っても、一番たくさん大会へ出場したシーズンだった。
春の伊達ハーフ、豊平川ラン&ウォーク。
記録は1時間48分、1時間46分台。
目標には届かなかったが、少しずつ力は付いてきている実感はあった。
そんな大会会場で、耳にした話が私の運命を変えた。
「北海道マラソンの参加資格が緩和されたらしい。」
最初は何のことか分からなかった。
当時の北海道マラソンは、私にとってテレビの中のような存在だったからだ。
後で調べてみると、本当に参加資格が変わっていた。
それまでハーフマラソン1時間40分以内だった基準が、
1時間50分以内へと緩和されていたのである。
私は思わず声が出た。
「出られるかもしれない!」
今の北海道マラソンを知る人には想像しにくいかもしれないが、当時の北海道マラソンは「誰でも参加できる大会」ではなかった。
オリンピック選考レースにも位置付けられることがあり、北海道を代表するトップレベルの大会だった。
だからこそ、私にとっては憧れの舞台だったのである。
しかも今思えば、本当にタイミングが良かった。
前年だったら、私は参加資格さえなかった。
たまたまルールが変わり、ようやくスタートラインへ挑戦する権利を手にしたのだ。
もちろん、その時点ではサブ4どころか、ハーフ1時間40分にも遠く及ばない。
それでも私は迷わず北海道マラソンへ申し込んだ。
結果がどうなるかではない。
「一度はあの舞台を走ってみたい。」
その気持ちの方がはるかに強かった。
しかし、その前に越えなければならない壁があった。
春のメインレース、
洞爺湖マラソン。
前年の反省を生かし、今年こそサブ4。
そう心に決めて、私は2回目のフルマラソンへ向かった。


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