フォーミュラ F1を頂点とするカーレース

Sports Encyclopedia · Motorsports 001

フォーミュラFormula Racing

単座席・車輪剥き出しのレーシングカーでタイムと着順を競うモータースポーツの頂点。その最高峰F1は1950年の発足以来、技術と人間ドラマが交錯する舞台であり続けている。ホンダの初優勝から60年、そして2026年は日本人フルタイムドライバー不在という節目のシーズンを迎えた。

1950
F1世界選手権
発足
1965
ホンダ
F1初優勝
15/16
88年 マクラーレン
ホンダ勝率
2026
日本人
不在シーズン
📋
基本データ BASIC DATA
分類
モータースポーツ / フォーミュラ(単座席・オープンホイールレース)英名:Formula Racing
主なカテゴリー
F1(頂点)・F2・F3(育成)・フォーミュラE(電動)・インディカー(北米)など。F1を頂点にピラミッド構造を成す
レース形式
予選(Q1〜Q3のノックアウト方式)でスターティンググリッドを決定し、決勝レースの着順に応じてポイントを獲得。上位10位までがポイント対象
選手権
ドライバー個人を対象とするドライバーズチャンピオンシップと、チーム(コンストラクター)を対象とするコンストラクターズチャンピオンシップの2つが並行して争われる
統括団体
国際自動車連盟(FIA)/日本:一般社団法人 日本自動車連盟(JAF)
日本開催
F1日本グランプリは三重県の鈴鹿サーキットで開催(過去には静岡県の富士スピードウェイでも実施)。技術力の高さで知られるホンダは長年F1にエンジン(パワーユニット)を供給してきた
2026年規則改定
F1は2026年に車両・パワーユニットの技術規則を大幅刷新。電動化比率の引き上げなど、次世代に向けた大変革のシーズンとなった
🏎️
主要カテゴリー CATEGORIES
🏁
F1(フォーミュラ1)
モータースポーツの頂点

世界最高峰の単座席レース。1950年に世界選手権として発足し、毎年20チーム前後・24戦前後を世界各地で転戦する。2025年はランド・ノリス(マクラーレン)が僅差でドライバーズ王座を獲得した。

🌱
F2・F3
F1への登竜門

F1昇格を目指す若手ドライバーの育成カテゴリー。同一規格のマシンで争われ、純粋なドライバーの実力が問われる。多くのF1王者・トップドライバーがこのカテゴリーを経て頂点へ駆け上がってきた。

フォーミュラE
電動フォーミュラ

完全電気自動車によるフォーミュラレース。市街地コースでの開催が多く、環境性能とレースの両立を掲げる次世代カテゴリーとして自動車メーカー各社が力を入れている。

🇺🇸
インディカー
北米最高峰・インディ500

アメリカを中心に展開される単座席レース。名物レース「インディ500」は世界最大級の観客動員を誇り、日本人では佐藤琢磨が2度の総合優勝を果たしている。

レースウィークエンドの基本構成
セッション内容目的
予選(Q1〜Q3)ノックアウト方式でタイムアタック決勝のスターティンググリッドを決定
決勝レース規定周回数を走行し着順を競う上位10位にポイントを付与し選手権に反映
🇯🇵
ホンダF1——挑戦と栄光、そして2026年の転換点 HONDA & JAPAN
🏆 HONDA F1 · 初優勝から60年

「軽トラしか作ったことのない会社」が挑んだ世界最高峰

1964年、四輪自動車の発売からわずか1年というタイミングで、本田技研工業はF1参戦を決断した。自らシャシーとエンジンの両方を開発するという無謀とも言われた挑戦は、翌1965年のメキシコGPでの初優勝という形で結実。この初優勝から2025年で60年の節目を迎えた。

1980年代後半にはエンジンサプライヤーとしてウイリアムズ・マクラーレンを支え、1988年のマクラーレン・ホンダは全16戦中15勝という、今なお破られていないF1史上最高勝率を記録した。2026年シーズンはホンダがアストンマーティンにパワーユニットを供給する新体制がスタートし、伝説的デザイナー、エイドリアン・ニューウェイとの再タッグにも注目が集まる。一方で角田裕毅はレッドブルのレギュラーシートを一時的に失い、テスト&リザーブドライバーとしてシーズンに臨むこととなった。

🇯🇵
注目の日本人ドライバー JAPAN DRIVERS
中嶋 悟(なかじま さとる)
1987年 日本人初のF1フルシーズン参戦

ロータスから参戦し、日本人として初めてF1にフルシーズン参戦したパイオニア。後にF1に参戦した日本人ドライバーたちの道を切り開いた存在で、息子の中嶋一貴もF1に参戦した。

佐藤 琢磨(さとう たくま)
2004年 F1アメリカGP 3位表彰台 / インディ500 2度優勝

F1で日本人として複数回の表彰台に立った実力者。渡米後はインディカーに参戦し、名物レース「インディ500」を2017年・2020年の2度制覇。日本人モータースポーツ選手として世界的な実績を残している。

小林 可夢偉(こばやし かむい)
2009〜2014年 F1参戦・複数回表彰台

角田裕毅がデビューするまで最後にF1へフルタイム参戦していた日本人ドライバー。攻撃的な追い抜きで人気を博し、F1撤退後はル・マン24時間などスポーツカーレースでも活躍を続けている。

角田 裕毅(つのだ ゆうき)
2021年デビュー・2026年はテスト&リザーブドライバー

2021年にF1デビューし、2025年にはレッドブル本隊に昇格。しかし2026年シーズンはレギュラーシートを失い、レッドブル/レーシングブルズのテスト&リザーブドライバーとしてチームを支える立場となった。

📜
歴史の足跡 HISTORY
1950年
イギリスのシルバーストーン・サーキットで第1戦が開催され、F1世界選手権が正式に発足した。
1964年(日本)
本田技研工業がF1参戦を開始。西ドイツGPで自社製シャシー・エンジンのRA271がデビューを飾った。
1965年(日本)
メキシコGPでホンダRA272が日本車として初めてF1優勝を達成した。
1976年(日本)
富士スピードウェイで初のF1日本グランプリが開催され、長谷見昌弘・星野一義・高原敬武がスポット参戦する形で日本人ドライバーが初めてF1決勝を走った。
1987年(日本)
中嶋悟が日本人として初めてF1にフルシーズン参戦した。
1988年
マクラーレン・ホンダがアイルトン・セナとアラン・プロストを擁し、全16戦中15勝という、今なお破られていないF1史上最高勝率を記録した。
2004年(日本)
アメリカGPで佐藤琢磨が3位表彰台を獲得した。
2009〜2014年(日本)
小林可夢偉がF1にフルタイム参戦し、複数回の表彰台を記録。攻撃的な走りで人気を集めた。
2021年(日本)
角田裕毅がF1デビュー。小林可夢偉以来となる日本人フルタイムドライバーとしてキャリアを積み上げていった。
2026年(日本)
F1は技術規則の大幅刷新を迎える一方、角田裕毅がレッドブルのレギュラーシートを失いテスト&リザーブドライバーに。F1創設から四半世紀近く日本人不在の時期もあった歴史を踏まえつつ、日本人フルタイムドライバー不在のシーズンとなった。ホンダはアストンマーティンへのパワーユニット供給を開始し、エイドリアン・ニューウェイとの新体制で再出発した。